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浅川 マキ

息子佳祐が描いたマキ私は浅川マキのフアンです。
最初に聴いたのは中学生のとき。
吉田拓郎が浅川マキは良いと言ったからです。
私は先生や親の言うことは聞きませんが、吉田拓郎やビートルズの言うことは聞くのです。
初めて買ったマキのレコードは山下洋輔トリオ+稲葉国光とのライブ「Maki 此廚任垢諭
ジャズを聴き始めたのもそのころで「テイク・ファイブ」のディブ・ブルーベック・カルテットはレコードも買ってよく聴いたものです。

マキはCD嫌いで有名でした。
ですからLPも廃盤になったCDを手に入れるのは至難の業です。
商業的なものも一切かまわず、マキは自分の好きな歌を歌っておれればそれで良しと言うタイプ。
本当ならば、ブルースの女王と呼ばれるべき存在でした。

マキの死後、もうマキの承諾を得なくても良くなった東芝EMIは次々とマキのCDをリリース。
私はLPを全てオークションで売ってCDを集めだしました。
しかし3枚だけはリリースされず現在に至ってます。

ところが今年になって、2枚手に入れることが出来ました。
12000円で誰も買い手が付かず出品されておるCDがありますが、同じCDを即決5860円と言う値段で手に入れました。
金出せばいいってものじゃありません。
かえってファンの反発を買うようなものですよ。

さてあと残り一枚ですが、まだ入手出来ていません。
ちょっとしたきっかけで知り合いになった中古レコード出品者が言っておりました。
「ずーっと欲しいという気持ちを持ち続ければ、いつかは手に入れることが出来ますよ。」

Youtubeで2枚組の一枚分はダウンロードし、それからCDを作りました。
ところがマキが生前
「CDのマイマンの音はジャズじゃないのよ。」
と言っておりまして、この言葉が気になっておりました。
マキのCDへの懐疑が私にも移ったようです。
もう2013年には完全にアナログ派に戻りました。

浅川マキCDの音に疑問をいだき始めたので、LP「マイ・マン」を買わなきゃと思いました。
ある日やっとヤフオクに出品されました。
絶対落としてやる!
こういう奴には誰もかなわないでしょう(笑)
最初から2万円で入札です。
結局、11000円で落札できました。
そして音を聴いて、マキの言葉を理解しました。

マキは死ぬまでアンダーグラウンドのヒロインであり続けました。
ファースト「浅川マキの世界」でインタビュー風に収録した
「どこで死にたい?」
「どこでもいい」
と言ったとおり、2010年1月17日名古屋公演中の滞在しているホテルで入浴中に心不全(一番わけの分からない死因)でこの世を去りました。
死ぬ当日まで現役で有り続けました。
「有名になりたい?」
「どうだっていい。」
これも言葉通り、ほとんど無名のまま、アパート暮らしで数年前に死んだ愛した男の後を追うように・・・
自分のレコードは一枚も所持してなかったそうです。
過去には興味が無いのでしょうか?

マキが死ぬまで行動(演奏)を共にしたドラムのセシル・モンロー。
その翌年、海水浴で水死しました。
1996年に発表された28th「こんな風に過ぎて行くのなら」
その中に収録された「埠頭にて」マキ作詞
♪突然 襲われちゃうよ 波にさらわれて♪
「マキに連れて行かれた…」そうとしか思えず身震いしました。
作曲者の飛田一男もマキの死ぬ数年前に死んでおります。

マキは一回だけプロポーズされたそうです。
若いとき、地方巡業のキャバレー周りのバイブ(ビブラホーン)の女房に逃げられた子づれの男に。
マキと顔を合わすたび。
「オレと結婚しないか?
この子のおっかさんになってくれ。」

また、マキはある時一枚のレコードを渡され、
「この良さが分からないんだったら歌手を辞めた方が良い。」
と言われました。
それは、ビリー・ホリディのレコードでした。
そしてウイキペディアにも出てくるマヘリア・ジャクソンにもマキの名前が載ってます。
この二人のレコードを買いましたが、私にはまだその良さが分かりません。
「二人の女」マキの書いたこの曲はこの二人の事でしょう。

死ぬまで、町の歌手だったビリー・ホリディは死後伝説として語られ、ゴスペルの女王として死んで行ったマヘリアより今は有名です。
マキはビリーのようなタイプかもしれませんね。
「娼婦になりたいと思う?」
「うん、時々思うね。」
ビリーは本当の娼婦でした。

5th「裏窓」ジャケットには日本のジャズ・トランペットの大御所、南里文雄が写っており
「セント・ジェームス病院」が彼の最後のレコーディングだったそうです。
そして、「松田優作が愛した音楽」と言うのがあるそうですが、この曲がセレクトされているそうです。
日本のジャズの直木賞のような南里賞の南里文雄です。
そもそも、寺山修司に見出されて、ファーストは半分は寺山が作詞。
「裏窓」では「ケンタウロスの子守唄」で筒井康隆が作詞。
山下洋輔、つのだ☆ヒロ、近藤等則、向井滋春、本多俊之、後藤次利、渋谷穀、山内テツ、泉谷しげる、日野皓正、川端民生
ボビーワトソン、坂本龍一、原田芳雄、下山淳、野坂昭如、坂田明・・・・・・
まるで砂糖に群がるアリのようにマキに吸い寄せられるように集まる凄い男たち。
マキと演りたい、ヤリタイかも?
全然美人でも特別歌が上手いわけでもありません。
音符も読めない、しかしほとんどの作詞は彼女の物、作曲もやる。
彼女の強みは強烈な個性、オリジナルティ、決して有名ミュージシャンの言いなりにならなかったしレコード会社の意向にも逆らった。
売れなくとも良い。
ビリーのように生きてやろうと思ったのかもしれません。

息子佳祐が描いたマキ118歳の冬、新宿「アケタの店」入場券が取れなくてドアに耳を着けかすかにもれてくる彼女の歌を聴きました。
それがマキとの最接近でした。
ファースト、何枚持っているのだろう、初めて数えたらLP6枚、CD一枚。

LP23枚が一挙に出品されたとき51000円で入札し、結局51000円で落札。
相手も粘る事、終了間際2時間。
こいつは絶対5万円であきらめる、最後まで付き合わずコンビニにタバコ買いに行きました。
届いたレコードは絶品で、きっと大事にコレクションしていた親父が死んで、価値も分からぬ息子が中古レコード店に投げたのでしょう。

コレクター=憧れていた物、者、になれなくて集める偉大なる大馬鹿。
マキはその対象としては完璧なる条件を満たしております。
マキは石川県美川町(現在の白山市)の町役場の年金係り、たまたま町に来た
NHK「のど自慢」、優勝したわけでも無いようです。
それだけでふらりと東京に出てきてキャバレーまわり、歌えればどこでも良かったようです。
デビューはビクターレコードからど演歌歌手、「東京挽歌」「アーメン・ジロー」。
この時代だけは彼女は受け入れがたい事実だったようです。
表の加藤登紀子、裏のマキ、何故か気が合ったようです。

マキは死んでしまいましたが、マキの伝説は始まったばかりだと思ってます。


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Posted by オーディオ研究所 所長 | - -
オーディオ研究所
所長  佐藤 彰
みなさんこんにちは。
オーディオ研究所 所長の佐藤 彰です。

オーディオ機器の修理やオリジナル部品の開発をしています。
中学の頃からスピーカーを自作したりして、オーディオ人生まっしぐらです。
修理の話、音楽の話、以前に勤めていたオーディオメーカーでの話などいろいろ載せています。
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